「塚本浩哉 - 人と音楽」 八幡謙介
塚本浩哉のメロディーはどこか我々に懐かしい。それはある特定の人々においてではなく、人種を問わず、彼の音楽に接した
すべての人々に共通する感覚であると思う。そうした普遍的価値観を持つ氏の音楽は、決して単なる技術から生まれるものでは
なく、ましてや軽薄な西洋至上主義から生まれるものでは断じてない。また、氏の音楽の持つある意味での無国籍性に、かつて
の共産主義的世界観、即ち国家の解体、世界市民、あるいはユートピアなどを夢想するのは誤りである。そうした普遍性は、自
らのルーツつまり日本人である自己、そして歴史や宗教、つまり自らのバックグラウンドを真摯に見つめ初めて現れるものだ。
バークリ−音楽大学入学当時より氏と近しく接する僥倖を得た私は、そうした氏の自らのアイデンティティーへの模索を目にし
てきた。氏が時折口にしていた「もっと日本のことが知りたい」という言葉が決してうわべだけのものではないことは、氏にお
ける数々の知的、或いは体験的実践において伺える。即ち空手歴10年、初段の腕前(そう簡単に取れるものではない)、そし
て他の武道への積極的参加、純文学や歴史小説などの旺盛な読書欲、時事問題への多大なる関心等、、、。
そうしたアイデンティティーの模索は、海外留学を経て初めて萌芽を得たかに見える。たしかに入学当時の彼の音楽は未完成
であった。あれから3年。私はこの度の氏のファーストアルバム "The Other Side of the World"を手にし、そこに何者でもな
い「塚本浩哉の音楽」としてのはっきりとした世界を実感した。そうした氏の研鑽がカタチとしてひとまず完成をみ、こうして
世に出ることに、一ミュージシャンとして、また友人として(こみ上げる羨望と嫉妬を抑えつつ)心から祝いの辞を述べたい。
さて、冒頭において私は氏のメロディーを「懐かしい」と言った。が、さらにこのアルバム全体を通してもうひとつ、なにか
「生への悦びー祈り」のようなものが感じられる。悲しみ、怒り、哀れみ、喜び、慈しみ、愛、そうした生と切り離せない感情
がこのアルバムに凝縮されている。が、それらの根底に見えるのはうっとうしい悲観論や厭世観などではなく、ある種原始的な
古代人における生への悦びである。古代の人々は、その鋭い直感により驚くべき正確さでもって天地自然を認識し、そしてそれ
らを崇高なるものとして嵩がめ祀り、真摯な祈りを捧げた。それは生そのものに根付いた祈り、即ち生かされていることへの悦
びである。
こうした原始の感情は、本来どの民族にも持ち合わせているものであり、また遠い先祖の記憶として現代の我々の遺伝子にも
残っているはずだ。"Sceneries"での日本語の詩「目を閉じてよみがえる場所は、遠い日に暮らしたあの街」とは単なる生まれ
故郷ではなく我々の遠い先祖の生きた場所ではあるまいか。ある古文書によれば、歴史以前、超古代我々は一つの民族であっ
たと言う。そう考えれば塚本浩哉の音楽に誰もが感じる懐かしさも納得がいく。
そう我々にとって「別世界(The Other Side of the World)」とはまた懐かしい故郷である。このアルバムにおいて氏は、
そう伝えたかったのではないだろうか。
最後に、氏の存在がいまだ西洋至上主義の根深い日本ジャズフュージョン界において、一条の光とならんことを願う。蛇足で
あるが、このアルバムは傑作である。
2003年12月19日ハンブルグにて
八幡謙介